「やい男子部員ども〜!」

ある日の夕方、突然女子ボクシング部員の主将が叫んだ。

「え?な、何?」男子ボクシングの主将が前に出た。

「リング使わせろ〜!」

男子部員の主将、源(はじめ)に女子部員の主将、みさおが指差しで怒っている。

「リングっていったって、そっちはボクササイズで始めたからリングいらないだろ?」源が戸惑いながら言った。

「今日から本格的にボクシングやるぜ!灰になるんだ灰に!」みさおのテンションは酷いほどに上がっている。

まわりの女子部員は聞いてないとばかりに、みさおの後頭部に白い目線をおくる。

「とにかくいきなりは無理だから、それにいつも使ってるしなぁ」源は悩む。

「主将と主将の勝負だー!」みさおは両手の親指を立てて高らかに挙げる。

「あの・・・・・・」女子ボクシング部側から、すみれが右手を挙手して言った。

「みさお主将、ボクシングの試合はやった事無いと思うんですが、それで勝負っていったって」

すみれがそう言うと、女子部員は全員、ウンウンと頷いた。

「主将は強いって決まってるんだよぅ」みさおは、ムキになって叫んだ。

「しょうがないな、でもリングに上がったらこっちも本気だよ?」源はヤレヤレという風に言う。

「こっちも本気だぜ!」みさおも胸を張って言った。

 

                      *

 

リングの上、源はちゃんとしたボクシングスタイルだが、みさおは体操服に黒のブルマだ。マウスピースはかねて

用意をしていたらしい。

カーンとゴングが鳴る。

「この音この音!カーンだって!」みさおは興奮している。

バシッ!

「ふべっ!」みさおの顔にジャブが当たる。

「不意打ちかぁっ!」

バシッ!バシッ!

「ちょ、待って、タンマ!」

バシッ! ずどん! ジャブ数発でみさおは腰から倒れた。

「あつっ!熱い〜痛い〜!」みさおは顔を押さえる。ヒリヒリしてたまらない。

「ダウン!」レフリーが叫んだ。

「ダウンじゃないっ!」みさおはすぐに立ち上がった。

「あの、このパンチでも一ラウンドに三回倒れると負けになるんだよ」源はあきれながら言った。

「なにーっ、この万年公式試合負け負け男子ボクサーめ!負けんぞー!」

みさおが言ってはいけないことを言ってしまった。

ピキッと源のこめかみから音がした。

「ファイト!」レフリーが叫ぶと源は突っ込んで行った。

「万年公式試合負け負けボクサーのパンチを食らってみる?」顔は笑顔でハラワタの煮えくり返っている源。

「おう!うってこーい!ばっちこーい!」みさおは、さらに挑発した。

ばきっ!  

「ンぶっ!」

頬にフックが炸裂していた。

みさおのマウスピースが口からほとんどはみ出た。

「ダウンしないのは流石。って何が流石なのかわからんけど、これがフックだ」源は少し冷静になって言った。

「んぐんぐんぐ」みさおはマウスピースをグローブで口に戻す。思うより唾液が邪魔をしてヌルヌルと滑る。

無事口に収まったと思えば、グローブからも唾液が滴っていた。

「これがフックか!耐えれる!」

ぐるん

そう言った直後、みさおが白目になってぶっ倒れた。

頬がリングにぶち当たって、「ぶじゅっ」と音がしてマウスピースが勢いで飛び出した。

まるで腐った柿が地面に落ちて中身をぶちまけるようだった。

「主将ッ!」すみれが叫んだ。もう意味は無いだろうが、リングサイドをバンバン叩いてみた。

「あ?」みさおの目が元に戻った。カウントは五だ。

みさおは勢いで立ち上がる。

「えと、なんだっけ、そうそう、フックなんて効きません!」みさおの足はガクガクと震えてしっかりと立てない。

「足にキてるだろ?思いっきり効いてるよ、これでもういいだろう?」源はため息をついた。

みさおは血でほんのり赤くなったマウスピースを拾って口に入れる。

本人にはもう自覚は無いだろうが、口から唾液がだらしなくダラダラ流れてマットにしたたり落ちている。

「まだまだ!万年負け部!」

(キれたら怪我させてしまう・・・・・)源は悪態にガマンをする。

「どしたー?こっちから行くぞ!万年・・・・・・・」

どすっと重い音がした。

(しまった!やっちゃった!)源は無意識にボディを打っていた。

「ヴぇっ!」みさおがマウスピースを吐いた。

びちゃっ、びちゃっ、びちゃっ・・・・・・。

マウスピースは静寂の部室に湿った音をたてて跳ねた。

みさおは呆然と立ち尽くしてそのマウスピースが跳ねる様を見ていた。

いや、見ているのでは無いかもしれない。目の色が死んでいる。

「こぷっ!」

みさおの口から胃液が吐き出される。

源は、その跳ね返りを避ける為に後ろに下がった。

「こぷっ、こぷっ、こぷっ」リズミカルにみさおは胃液を撒き散らす。

そして

「ごぼぉ・・・・・・」一気に透明な胃液をぶちまけた。

みさおはハァハァと肩で息をしながらふんばる。正直、ボディを殴られるのは産まれて初めての経験だ。

「苦しいだろ?そろそろ負けを認めないか?」源はやんわりと言った。刺激をしないように。

「・・・・・・」みさおは両膝に両手を置いて中腰に。そして顔を下に向けて唾液、血、胃液を垂らしている。

「え?何か言った?」みさおが顔をあげた。

先ほどのフックの影響だろうか?左の頬がはれ上がって紫色になっている。そのせいで目まで圧迫して

打たれた左側の目だけが細くなっている。

 

カーン

一Rが終了した。

 

 みさおはとりあえず自分のコーナーに戻ると、用意されている椅子に座った。

すみれは急いでリングに上がると、みさおの吐き出したマウスピースを拾った。

帰り際に、みさおの体液で滑って転びそうになる。

「もう無理ですよ、無計画すぎたんです」すみれは椅子にグッタリするみさおに言った。

「まだまだ・・・・・・」みさおは根性と気合だけはあるらしい。それはボクササイズで締まった体になるという事に

おいては、継続性という意味で主将がピッタリだったのかもしれない。

 

みさおに「主将」と名前を付けたことが今回の悲惨な出来事の発端になったのかもしれないと、すみれは思った。

「やっぱり部長は主将と呼ばれるべきだ!」と主張したのはみさお本人であるのだが・・・・・・。

そう考えながらマウスピースを洗っていると、二Rのゴングが鳴ってしまった。

「あ、うがいとか・・・・・・」すみれは叫んだが

「いらないよ」とみさおに一蹴された。

すみれはヤレヤレと思いながらマウスピースをみさおの口に入れた。一度死ぬ目に合わないとこの性格は直らないかも

しれないと、すみれは思っていた。

 

 バキッ!バキッ!

源は殴り慣れてしまったのか、容赦無くみさおの顔面に右へ左へとフックを打っている。

「たぁっ!」みさおが声だけ勢い良くパンチを打つが、ガードか、かわされるかのどちらかだった。

バキッ!バキッ!

みさおの血が、すみれの方まで飛んでくるようになった。

(これでいいだろう)源は手を止めた。

みさおは倒れそうで倒れない。フラフラと体を揺らしながら両手をだらりと垂らしている。

顔は完全に片目が塞がるほど腫れ上がり鼻血が出て、口の端からも血を垂らしている。

「プゥぇっ!」

みさおが口に溜まった血を吐くと、奥歯が二本ほどリングの上にカランと落ちた。

 

「すまん」

ヴァキッ!

源はフィニッシュのつもりで、アッパーを打った。

まず、みさおのマウスピースが吹き飛んだ。血まみれで血と唾液を撒き散らし、羽を広げて飛ぶ鳥のような形だ。

それは女子部員の一人の胸にピシャァッ!と当たった。

「あ、ああああ」叫びにならない声をあげる部員。

マウスピースは、みさおの体液の粘性の為に胸に張り付いたままだ。

そしてマウスピースを中心に、その女子部員の胸に血の染みを広げていく。

ずるずるとマウスピースはその後に、ゆっくりと引力によって落ちようとしている。

部員は思わずその温かいマウスピースを手に取った。

激しい刺激臭と鉄の臭いで、ひどい臭いだ。思わず顔をそむける。

そしてリングの上をチラッと見てみた。

みさおがリング外に落ちる瞬間だった。

ダーン!と音がしてみさおは床に叩きつけられる。

「主将!」すみれが声をかけると、みさおは唸り声を少し出した。

そして

白目になってゴボゴボゴボと泡を大量に吹いた。

「だから言ったのに」源はそう呟いた。

だから何を言ったのかは、源自信も忘れていたが。

 

                   おわり