「邪魔でしょうがないけぇね、カンノちゃんにちぃと入院する位に怪我してもらわにゃ」
あかりは、ためらわずにカンノの顔の中心目がけて殴りかかった。
瞬間、カンノは携帯電話をあかりの前に突き出した。
「ん?」あかりが拳を止める。
カチッと音がすると、けたたましいサイレンの音が携帯電話から鳴り響いた。防犯ブザーの音。
「ひなたさん!ひなたさーん!」カンノが助けを求める。
「五月蠅い音じゃの!止めんかい!」あかりは耳を塞いでそう叫んだ。
直後、あかりの肩がガッシリと掴まれる。
「あん?」振り返ると、ひなたの拳が目の前に迫っていた。
ガッ!
あかりが鼻血を噴出しながら大きくのけぞる。
「小さい子に手ェ出すんか!外道!」ひなたは激昂して叫んだ。
あかりはパンチを食らったダメージなのか、しばらく中腰になっていたが、ゆっくり背を伸ばすと笑い始めた。
「ひなちゃん、ええパンチじゃね、試合でもその調子で頼むわ」嬉しそうにあかりは言う。
「カンノちゃんはウチのセコンドじゃ、手は出すな」
「いやいやもう手ぇ出さん。なんかテンション下がったわ、さっきの話は無しっちゅうことで、ははっ」
「おちょくっちょるん?」ひなたはキッとあかりを睨んだ。
その時のあかりの目は、悲しそうだった。挑発的な顔をしているのに、何故か悲しそう。
「じゃあの」あかりは鼻血を吹きもせずに歩いていった。
「あかりの言動が読めん」ひなたはその場に座り込んだ。
カンノは黙ってポケットからハンカチを出して、ひなたの鼻血を拭いてくれた。
「あの人が対戦相手でいいんですよね?」カンノが確認して来たので、「ああ」と一言だけひなたは返した。
「さっきカンノちゃん、コーチは私って言うたよね、帰らずに済むん?」
「はい、母からオッケーが出ました」カンノは鼻血を拭き切ったハンカチをたたむと、ポケットに入れた。
「あとはボクシング用品か」
「あ、じゃあ島を渡って、柳井っていう町が近いですからそこのスポーツ用品屋で買ってきますよ」
「一応、説明も欲しいからウチも行くわ」
「わかりました、じゃあ準備しましょう・・・・・・って、ひなたさんどうかしましたか?」
ひなたは少し暗い顔をして、立とうとしない。
「こう本格的に試合の日が近くなって来ると、やっぱり怖いもんじゃね」ぼやくようにひなたは言った。
「今まで私がセコンドやって来た人たちも同じでしたよ、怖いって、それはフツーの反応です」カンノは明るく言った。
「そっか、フツーか」ひなたは立ち上がり、尻に付いた砂埃を払った。
「あ、ウチが歩いてきた逆の方向に行くと、例の丘に行けるよ。今ならこころも、仁もおる」
「本当ですか!行きましょう!」
「ああ、行こう」ひなたはそう言いながらカンノの手を握った。
「お姉さんが出来たみたい、何だかドキドキします」カンノは頬を紅く染めて笑顔を見せた。
*
「何やってんだお前は」
サングラスをかけた男がそう言いながら、あかりの腹を蹴った。
「ぐぅっ・・・・・・」苦悶の声を出してあかりは四つんばいになる。
「勝手な事するな、天川ひなたと喧嘩するとはなぁ・・・・・・問題は起こして貰いたくないんだが」
そう言って再度、あかりの腹を蹴り上げた。
「ごふっ」あかりが喀血した。
「まあ、お前を痛め過ぎて試合本番で使えなくなったら困る。この位にしといてやる」
「ごふっ、ごふっ・・・・・・兄さんのヤキはきついけぇ、ほんま」あかりは口から血を垂らしながら笑っている。
「そもそも、何でここの土地の買収のゴトをやりたいって言ったんだ?自分の故郷を自分の手で潰すようなもんだろ」
「どうせあの丘が潰れるなら、自分の手でやったほうがスッキリすると思うたんよね」
「そうか、でもお前が本当に何を考えとるんか解らん、ウソはなんぼでも言えるからな」
「やだなぁ兄さん、本音じゃけ、信じんさいや」
サングラスの男は一瞬、あかりを蹴ろうとしたが止めた。
「まあお前にイライラしてもしゃあないか」そう言って煙草に火を付ける。