《島。見渡す丘で》
ひなたは物思いにふけながら、丘の上に寝転んでいる。
一つ問題が解決した。それで気持ちが楽になった。こころと仁は付き合うことになったらしい。
(ようやったの、こころ)
後はボクシングの勝負だ。腕時計を見ると、あと三時間でボクシング講師になってくれる「渡部 カンノ」が来るらしい。
実は年齢も姿も、何をしている人かも知らない。うっかり聞き忘れた。
「あぁー・・・今からメール・・・ちゅっても今更何をしている人かなんて、メールするのもおかしい・・・」
ひなたは30秒ほど悩んで、悩むのをやめた。そこまで大切な事では無い。
それよりも、やはりこの季節は、冷たい風が吹いてくる。
「寒いのぅ・・・」ひなたは独り言をポツリと言った。
しかし、ひなたは寒い日のここでの過ごし方を知っている。伊達にここには通っていない。
「さすが寒い日は雲が綺麗じゃの、あれは・・・」雲を指を指して何かに例える。自分の心の中でそっと。
そしてその雲は早い勢いで形を変え、過ぎ去っていく。
その時間の経ち方がひなたは大好きだ。そして今にも飲み込まれそうな青空に向かって背伸び。
「気持ちええ!」腕の関節がパキポキと鳴る。
「ひなた・・・」
ひなたが背伸びをしていると、こころがやって来た。
「ああ、こころ、結構今日は冷えるの」ひなたが少し右手を挙げて軽く挨拶のように振る。
だがこころは真面目な顔でひなたをじっと見ている。
「あれ?こころ、仁は?」
「今日は一人じゃ・・・ひなたに話したい事があっての」
「話?」
「横、座ってええか?」
「うん、ええよ」ひなたは断る理由も無いのでそう言った。むしろ普通の流れ、いつもどおりだった。
こころは自転車を停め、ひなたの横に座った。いつもよりよそよそしい態度だ。
風が少し強めに吹き、ひなたとこころの前髪が風になびくが二人は気にならない様子でいる。
それはこの緊張感から来るのかもしれない、いつもなら風に文句をいいながら前髪を整えなおすはずだ。
「ふー」と呟いて、ひなたは体をこわばらせるように両腕を組んだ。
「仁の事じゃけどね・・・」こころは雑草を無意識にむしりながら口を開いた。
「ああ、上手くいっちょる?」
「そういう話じゃないんちゃ・・・仁から聞いた」やたらと話をこころは切り込んでくる。早く話したくて焦っているようだ。
実は少し、ひなたは心当たりが有った。それを思うと少し心拍数が上昇するのを感じた。
「ひなちゃん・・・半年前に仁にフラれたって本当なん?・・・」
ひなたの思ったとおりの話だった。
黙り込む。
「何で言ってくれんかったん?」
ひなたはこころに言い寄られながら、仁をうらめしく思った。それはこころの前では話してはいけない事なのに。
「済んだことじゃ・・・」ひなたは顔色一つ変えずにそう言った。
「それが親友なんか?」こころはあくまで、ひなたを見つめながら言った。
「親友じゃいけんかったんか?」そう言いつつも、ひなたはこころを見ることが出来ない。
「ウチは、ひなちゃんを親友かとおもっちょった・・・」
こころはそう言うと、うなだれた。
「半年じゃけ、半年前。気にせんでええのに」
とは言うが、思惑通りにはいかず、気まずい空気が流れる。ひなたの胸がどんどん締め付けられる。半年が長いか短いかは、この場合こころが決めるべきなのも解っていた。
気持ちがすれ違って行きそうだ。だがひなたは言葉が浮かばない。
親友の幸せを祈っただけなのに。ひなたはやっと、そう思えた。
「ウチ、仁と別れるわ・・・」
「いけん!」こころの言葉にひなたは強く反応した。
ひなたはこころを見た。
こころは泣いていた。涙が頬を伝っている。
ひなたは自分の気持ちが爆発しそうで限界だった。
泣きたいのは自分かもしれないのに・・・でもそれを外に出さない。あくまで冷静に。
「ウチだけなんで幸せになるん?」こころは泣かれているのを見られたのが気になったせいか、海へと顔を向ける。
「大丈夫じゃけ、こころ、ウチ、他に好きな人が出来たけぇ」
「何で嘘つくん?」こころが間髪いれずに声を荒げて言う。
「・・・」嘘だったと謝る程でもない。見え見えの嘘だった。
(こころ・・・)
こころは、仁とひなたの間に板ばさみになっている。それを知りながらもひなたは成すすべを知らない。
「ひなちゃん・・・ウチら三人はもう終わりかもしれん」
こころの言葉にひなたの心は真っ白になった。
気持ちがすれ違った。
いつまでも楽しく三人いっしょに。そう思っていた「当たり前」が崩壊する。
「ごめん、こころ」たった一言だけ口に出来た。ひなたの精一杯の一言。
「ウチ、ひなたの事。しっとるようで全然知らんかった、思い出せばひなちゃんはいつも自分の気持ちを殺しとる」
「それは・・・ウチの生き方じゃけぇ・・・」そう言うとひなたは上半身を起こした。
「それってウチらに嘘付いて、しかも上から見下ろしてるだけと思う・・・」
そんなつもりは無いとひなたは言いたかったが、よく考えるとそうではないかと思ってしまう。
他人のほうが自分をよく見ることが出来る。よく聴くその言葉を実感する。言い訳が出来ない。
「ウチはボクシングの事で精一杯じゃけ、ちょっと軽率じゃったかもしれん・・・」
「ボクシング?」こころは首を傾げた。
しまった。とひなたは思った。まだ誰にも話していない。勝ったら納得するだろうという軽率な考え。
「ひなちゃん、何もかも隠して・・・もう終わりじゃね・・・辛いけど、もう終わりじゃね」
こころは肩を震わせて泣いている。
「あ・・・じゃあ、人を迎えに行くけぇ、ウチはちょっと行かんといけん」ひなたは立ち上がった。
こころは何も言わない。ただ泣いている。
強風が吹いてこころの自転車が倒れる。大きな音をたてて。
その強風は近くにある大きな木の木の葉を千切るようにさらって、舞い上げた。
ひなたは歩き出した。逃げた。逃げた。
逃げている事が解りながら逃げる卑怯者。辛い。だが顔は平静に、平静に。
家まで、平静に。
そうだ、明るく「ただいま」と家に入ろう。
「ただいま!」元気良く家に帰ると、イネ婆ァが畑の手入れを終えて帰ってきたところらしい、泥だらけの長靴を脱ごうとしている。
「ひなちゃん、何で悲しい顔しとるん?」
笑顔のひなたにイネ婆ァは心配そうにひなたの顔をじっと見ている。
「あ・・・」
そう一言言うとひなたは真顔になってしまった。(泣いちゃいけん!)
うなだれる。(泣いちゃいけん!)
涙がぽろっと零れ落ちた。(泣いちゃいけん!泣いちゃいけん!)
「ああ、辛かったら泣いてええんよ、イネ婆ァは何も見とらんけぇの」笑顔でイネ婆ァは言った。
「うぅー!」ひなたは大きな声を出すと、涙は次から次へこぼれる。
止めようと、止めようとする程に涙が出てくる。
「イネ婆ァは、頭悪いけ、ええ言葉を知らんのよ、ええ言葉もかけられた事もあるけど、あまり効果無かったの」
そう言うと、廊下をひったひったと歩いて行った。
(みじめじゃの・・・ウチが一人で全部ぶち壊してしもうたんじゃろうか・・・)
仲良く登校している三人組がひなたの脳裏に浮かぶ。何故懐かしく感じてしまうのだろう?
「仁・・・」思わず口に出る。それはひなた自身を驚かせた。
もう振り切ったのでは?まだ引っ張っている?好きなのだろうか?自問自答した。
(YES)
その答えを、ひなたは決して想像しなかった。
(自分を偽って苦しくないん?本当によかったん?)もう一人の自分が声をかけてくる。
「ばか」
自分に言い聞かせるように口に出す。
「ばかっ!」